軍艦榛名・出雲戦没者慰霊碑

軍艦榛名・出雲戦没者慰霊碑(江田島市江田島町小用 江田島公園内)

軍艦榛名と練習艦出雲が沈没したさい犠牲になられた方の合同戦没者慰霊碑です。
軍艦榛名は昭和20年3月の呉空襲を皮切りに、数度の空襲で攻撃を受けた後、海上砲台の活用も含め江田島町小用沖に繋留されていましたが、7月28日の空襲で大破着底し、71名の犠牲者がでました。
また、同年7月24日、海軍兵学校の練習艦出雲(元・装甲巡洋艦)は江田島市江田島町高須で攻撃を受け転覆し、3名の犠牲者をうみました。
この慰霊の横には昭和18年8月5日呉海軍工廠火工部第二装填工場小用作業場において起こった爆発事故により殉職した方の慰霊碑もあります。

小用沖に大破着底した榛名

 

軍艦榛名は、金剛型巡洋戦艦の3番艦です。金剛型は日本で初めての超弩級巡洋戦艦で、1番艦金剛はイギリス・ヴィッカーズ社で建造され、同型艦3隻は国内で建造する方式を取りました。
榛名は、明治45年3月6日に川崎造船所(現・川崎重工)で起工され、大正4年4月19日に竣工しました。35.6cm連装主砲4基と強力な兵力、最高速力30ノットですが、防御力は十分ではないため巡洋戦艦でした。
その後、大正13年から行われた第一次大改造で防御力と砲戦能力の強化が行われましたが、速力が落ちたため戦艦に変更されました。昭和8年から行われた第二次大改造で、砲戦能力の強化、主機の換装、艦尾の延長を行い、再び30ノットが発揮できるようになり高速戦艦となりました。
太平洋戦争中は、機動部隊の護衛、ガダルカナル島砲撃、サマール沖海戦では米護衛空母部隊を砲撃しましたが、その後は呉へ帰り燃料不足で江田島小用沖に係留され、数度の呉空襲で米艦載機の攻撃を受けました。7月24日、28日の攻撃は熾烈を極め榛名は多数の爆弾が命中、至近弾も多数受け、浸水により海底に着底し、その状態で終戦を迎えました。

軍艦出雲は、日露戦争前に完成した装甲巡洋艦です。昭和18年には兵学校の練習艦となりましたが、昭和20年7月24日の呉空襲で、江田島高須沖で係留中、米艦載機の攻撃を受け転覆沈没しました。

 

また、この慰霊の横には昭和18年8月5日呉海軍工廠火工部第二装填工場小用作業場において起こった爆発事故により殉職した方の慰霊碑もあります。

 

<行き方>

江田島町小用港から青看板に従い、秋月方面へ向ってください。
小用港から200~300mくらいにあります。江田島中央公園内。